君を――したい

01


01.君を見守りたい

 とても愛おしいと思う子がいた。

 人と関わるのが苦手で、繊細な男の子。
 人見知りの激しい子猫のようで、庇護欲をくすぐられる。
 とても愛おしい。

 けれど、その子は白黒の書籍の中の住人。

 もし、数多の平行線を越えて君の世界に行けたなら、
 もし、君と同じ時間軸に私が存在できたなら、

 私は――君を見守りたい。


  *  *  *


 私は小学生3年生で、今日、引っ越してきたばかりらしい。

 このところ、ひどく記憶が曖昧だ。
 夢から覚めたばかりに、ぼぅっと”現実”とは何か考えている時のよう。
 いつも私の記憶の森には霧がかかっている。

 お母さんともお父さんとも今まで一緒に暮らしてきたのに、……どうしてか思い出が、嘘くさい。

「ほら、ちゃんおいで」

 やわらかに微笑むお母さんが、私の名を呼ぶ。
 お母さんの手をそっと取る。あたたかい。
 握りしめた感触がしっかりと伝わる。

(……そうだ。不思議なことなんて何もない)

 手の温もりに、心のざわつきは鳴りを潜める。
 霧なんて何処にもない。



 お母さんに手を引かれて向かう先は、お隣の家。
 引っ越しの挨拶に、粗品を持って一緒にやって来た。

 お母さんがインターフォンを鳴らす。
 開いたドアから出てきた婦人はスラリと小柄で、優しそうな雰囲気をまとっていた。

「隣に引っ越してきたです」
「こんにちわです」

 お母さんに続いて、私も頭を下げる。

「ご丁寧にどうも。狐爪です。
 ウチにも貴女と同じくらいの子がいるのよ。……あ」

 家の中から階段を降りてくる小さな足音が聞こえた。
 と思うと、狐爪のおばさんはくるりと身をひるがえし、家の中に駆け戻る。

 お母さんと顔を見合わせ、クビをかしげた。一体何事だろう。

 ややあって、狐爪のおばさんが玄関に何やらずるずると引っ張って戻ってきた。

「ほら、しゃんと顔を上げて、新しくきたお隣さんにご挨拶」

 突き出されるように、私の前に現れたのは同い年くらいの男の子。
 肩にはかからないけれど、男の子にしては長い黒髪が表情を隠す。
 ちょっと顔を上げ、猫のようなツリ目と目が合ったもののすぐ伏せられてしまった。
 彼は落ち着かないらしく足下をキョロキョロとしている。
 やがて、手に持っていたゲーム機に視線をやることで、少し落ち着いたらしい。

「………………えと、…………その…………こんにちわ」

 男の子は小声でかろうじて言う。
 そして、家の中に戻ろう……としたところを、おばさんが襟元をひっつかんで引き止めた。

「この子は研磨。今年3年になるんです。ちょっと人見知りするんですけど、仲良くしてあげてね」
「あら、ウチのと同じ学年ね」

 母親同士、ポンポンと会話が進む中、私はおばさんに捕まったままの男の子をじっと見ていた。
 彼は背を向けて、手にしているゲーム機を見ている。私の方へは、ちらりとも見ない。
 身体を強ばらせて、今にも逃げ出しそう。

 ざわざわと心の中が騒ぐ。
 奥底に眠る本能に似た声――意思が、私を突き動かす。

 出会って数分。顔もろくに合わせてないけれど、私は彼を、

「……見守りたい」

 こぼれ落ちた声は、確かに自分の意思のようで、しっくりと馴染んだ。

 小さな呟きは母親二人には聞こえなかったようで、変わらず会話を続けている。
 けれど、男の子の耳には届いていたようで、振り返った猫目と、かち合う。
 不可解なモノに対して、警戒している目だ。

(うん。わかってる。仕方ない)

 不思議と不快も落胆もしなかった。
 ただ、彼と出会えたことが嬉しかった。

「これからよろしくね。研磨」

 頬を緩めて笑う。
 少しでも彼が安心できるように。

 言葉はなかったけど、彼は小さく頭を縦に振った。


 私は――君を見守りたい。



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