君を――したい

07-2


 日が傾いてきた。
 赤紫の空が美しい。

 ……そんな美しい空の下、私達は不気味な団地の前にいる。

「おースゲー不気味。オバケいそーだ」

 不安漂う中、黒尾君だけが楽しそうに笑みを浮かべていた。
 吞気な彼は放っておいて、私は目の前の団地を見据える。

 数えると、8階の建物が3棟。白かったであろう外壁は、限りなく黒に近い灰色に染まっている。
 窓に付けられた格子(こうし)は錆びだらけで、今にも崩れ落ちそうだ。

 団地の周りには花壇が並んでいた。
 けれど、今となっては丈の長い雑草で埋め尽くされている。……そこに何か潜んでいても、ここからではわからないだろう。
 すぅっと、通り抜けた風がザワザワと雑草を揺らし、不安を煽(あお)る。
 思わず不満が漏れた。

「……なんで、こんな時間に」

 学校終わりに来るとなると、当然辿り着くのは夕方だ。
 黒尾君が言っていた怪談が見間違いであっても、正直、この時間、この場所には来たくなかった。
 気味の悪いホラーな条件が整いすぎている。何もなくても、こんな場所にはいたくない。

 ――カァ。カア。

 見上げれば、近くの電線に黒い影が並ぶ。
 それを見て、黒尾君は喜んだ。

「見ろよ。カラスにまで歓迎されてるぞ。これは行くっきゃないだろ」

 立ったままゲーム機で遊んでいた研磨の背を、バシンと叩く。
 黒尾君を見返すと、彼は「面倒くさい、帰りたい」と、ぼやいた。

(……私も帰りたい)

 ここまで来て「大人しく帰る」ということにはないだろう。黒尾君に限って。
 それなら、さっさと満足してもらって帰るしかない。

「で、どうするの? 私の目には屋上に人影なんて見えないけど」
「おれも見えない。……もう帰ろう」

 とにかく「帰りたい」と研磨は言う。気持ちはよくわかる。
 けれど、それで帰れるはずもない。

「ばーか。まだ乗り込んでもいないだろ。屋上まで行くぞ」

 ズンズンと、黒尾君は3棟ある内の1つに入っていく。
 私と研磨は仕方なく彼に続いた。


  *  *  *


 鉄筋コンクリートの建物内は、薄暗い上にヒンヤリとしていた。
 廊下を歩く私達の足音が、いやに響く。

「クロー。まさか8階まで階段で上るの? おれ嫌だ。疲れる。エレベーターがいい」
「あのなー。誰もいないのに、エレベーターが動いてるわけないだろ」

 黒尾君が振り返った時、

 ――チン

 聞き覚えのある音が響いた。
 廊下の奥が、明るい。
 逆光になってわかりにくいけど、人影が見えた。

 ――カツン、カツン、カツン……

 徐々にコチラに近付いてくる。

「お。さっそくオバケか?」

 黒尾君は両方の拳を胸の前で構えて、ニヤリと笑みを浮かべた。
 私は目を凝らして人影を見定める。……あれは、

 ――カツン。

 立ち止まった。
 もう距離は近く、顔の判別がつく。

「おや。何してるんだい? 何かの遊びかな?」

 男性が不思議そうに首をかしげている。
 緑の帽子と上着、見覚えがある。それはよく見かける宅配業者の制服だ。

「あ。宅配のおじさん。…………なんだ。オバケじゃねーのか」

 黒尾君は、肩すかしを食らったような顔をして、構えをといた。
 失礼極まりない彼の発言に、おじさんは苦笑いをする。

「……オバケって。
 まぁ、こんなに古い建物だからね。時々、君らみたいに肝試しにくる子もいるよ。
 けど、まだ入居者はいるからね。あんまり騒いじゃ駄目だよ」

 おじさんは「それじゃ」と手を振って去って行った。

 これでは、聞いた話と違う。
 噂では「誰も住んでない」と言われていたのに。
 なんだか肩の力が抜けてしまった。

「……人が住んでるなら、屋上に人影が見えても普通だよね。
 怪談の謎もわかったし、もう帰ろう」

 ここぞとばかりに、研磨は「帰ろう」と言う。

「いーや、まだだ。他の建物かもしんねーし。何より屋上を見てからだ」

 諦める気はサラサラないらしく、黒尾君は研磨の襟元を掴んだ。

「まさか全部の屋上見て回るの? ……おれ、待ってる」
「そう言うなって。行くぞ」

 引っ張られていく研磨の後を、私もテクテクとついていく。

(……やっぱ、二人って仲良いな)

 どこか他人事のように眺めていた。

「せめてエレベーターがいい。そうじゃないなら嫌だ。待ってる」
「……しゃーねぇーな」

 黒尾君が折れた。
 私もだけど、彼も研磨に甘い。


  *  *  *


 奥にあるエレベーターに、3人そろって乗り込む。
 8階のボタンを押すと、問題なく上へとあがっていく。

 なにが『オバケ団地』だろう。拍子抜けだ。
 研磨に至っては、ゲームをやり始める始末。
 もうグダグダだ。

 ――チン

 扉が開く。
 待ちきれずに飛び出たのは黒尾君。私もその後に続く。
 ゲームをしながら歩こうとしている研磨に「早く」と口を開いた時、

 ――ガシャン

 両側の扉が閉まった。

「え」

 何が起こったかわからずに固まる。

「研磨!」

 黒尾君がエレベーターの扉を叩いている。返事は、ない。


 どうして、こんなことになったのだろう。
 どうして、私は君のすぐ傍にいなかったのだろう。

 私は――今すぐ君の元へ駆けつけたい

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