君を――したい
07-5
廊下を走る音が響く。
ずっと走ってばかりだが、黒尾は気にならなかった。
駆け回るのは慣れている。
それよりも、気になることがあった。
もうこのところ、ずっと気になることが……。
* * *
黒尾はという人間が、苦手だった。
”苦手”と一言で片づけるには複雑で、上手く言い表す事はできない。
ただ、あまり研磨と一緒にいて欲しくなかった。
”異世界から来た悪者が、研磨を騙して連れ去ろうとしている”
初めて研磨と一緒にいる時に感じた印象だった。
誰にも言っていないが、言えば「TVの見過ぎ」と笑われただろう。
(別に、フツーに良い奴なのにな。研磨の世話も焼いてるみたいだし)
認識している人柄とは別に「研磨と関わって欲しくない」と、ささやく声がする。
それは動物の本能に近かった。
3人一緒に遊ぶことは多い。
が苦手でも、黒尾は「3人で遊ぼう」と誘った。
それは2人とは違う学年の黒尾が、2人の様子を観察するためでもあった。
いつも、別に何事もなく普通に楽しく遊んで、終わる。
それでも、何度会っても変わらない違和感がある。
交じり合えない隔たりがあるような気がした。
彼女は、自分たちとは違う”何か”という気がしてならない。
(……やっぱり、異世界からの侵略者)
その考えが浮かぶ度に、頭の中でアニメのBGMが流れる。
そして、気づいた自分は流石だなと、少し誇らしげになる。
(けど、フツーなんだよな)
得体の知れない雰囲気はするけれど、彼女自身は極めて普通。
研磨の手を引っ張って、時に言葉の足らない研磨に傷ついて……でも気にしないよう振る舞って。
(ホント、わけわかんねーヤツ)
黒尾にとってとは、どう接しようか悩む相手だった。
(良い奴か、悪い奴か、きっぱりすれば楽なんだけどな)
* * *
ぼんやりと考え事をしながらも、黒尾は走る。
研磨を捜すために駆けてきたばかりのところを遡る。
上へ上へと、階段を1段跳ばしで、ひたすらに。
けれど、足が止まった。
「な」
上へと続く階段の途中、タンスやら冷蔵庫やら本棚やらで塞がれていた。
通れる隙間なんて、どこにもない。
「なんだこれ! こんなの、なかったぞ!?」
ついさっき、研磨を追って駆け下りたばかりの階段だ。
当然、その時はこんな障害物はなかった。
短時間でこんな所業をやってのける人間など、いない。
(やっぱり! オバケの仕業か!)
心躍るものの、流石に心配になってきた。
自分の身を、ではない。
(やべぇ……今、研磨もも一人だ)
研磨は出入り口の傍だ。
けれど、の居場所は……。
「おい! ! 返事しろー!」
黒尾の声が響くばかりで、何も返ってこない。
嫌な汗が、背筋を伝う。
「くそっ」
他の階段かエレベーターか、いずれにしろ別の方法を探さなければならない。
踵を返した時、
「あ。やっと見つけた。ずっと捜してたんだよ」
振り返った先に、捜していた人物――が笑みを浮かべて立っていた。
「……?」
焦っていた黒尾とは裏腹に、随分と落ち着いている。
まるで、ちょっと散歩にでも出歩いているかのように。
(……こいつ、いつの間に?)
という人間は、もともと存在をあまり感じない。
今みたいに”いつの間にか、いる”というのは、よくあることだった。
けれど、
(なんか……変だ。いや、いつも変なヤツだけど)
「黒尾君を捜して走り回ってる間に、ハンカチ落としちゃった。
一緒に探してくれる?」
少し首を傾けて、訊ねてきた。
可愛らしく、おねだりをするような仕草で……。
(……だ、誰だコレ?)
ゾワッと寒気が走り、思わず一歩、後退りそうになる。
バクバクと心臓が鳴る。
まるで未知の生物と遭遇してしまったような衝撃だった。
けれど、顔に出ないように笑みを浮かべ、さぐりを入れた。
「いーよ。俺は格好良くて頼りになる男だからな」
「ありがとう」
無邪気に喜ぶの姿に、鳥肌が立つ。
けれど笑みを絶やさぬようにして、さり気なく、気づかれないように打診する。
「そーいや、今度2人で遊ぼうって言ってたな。いつにすんだ?」
「なんで今聞くの? 別にいつでもいいけど、それより……」
さらりと返された。
2人で遊ぶ約束などしていない。するはずがない。
は研磨と一緒に遊ぶことはあれど、黒尾と2人で遊ぶことはしない。
勿論、黒尾も遊びに誘う時はいつも”3人で”と言う。
「ね、ハンカチ探してくれるんでしょ?」
黒尾は自分に差し出された手を、静かに見下ろした。
が自分から手を差し出してくることなんて、ない。
(アイツは自分から俺に関わらないしなー。……俺もだけど)
少し罪悪感がわくが、今は角(すみ)に追いやる。
研磨の忠告を思い出し、黒尾は確信する。
差し出された手を取り、握り返す。
「お前、オバケだろ」
けして逃がさないというように、力を込める。
「いたっ! ちょっと痛いって! オバケなんているわけないじゃん!」
「でも、お前は””じゃない」
ギリギリと更に力を込める。
「痛い! 痛い! 痛い!」
もう片方の手で、バシバシと黒尾を叩いて逃れようとする。
そんなことで動じる黒尾ではなかった。
手を引き、彼女の肩をガッシリと掴む。
そっと顔を寄せる。目と目がかち合う距離だ。
射殺すほど眼力で、黒尾は低く静かに問いかける。
「……””を何処へやった?」
握った手も、掴んだ肩もジワジワと力を込める。
このまま”握りつぶすぞ”と暗に伝えて。
――シュッ!
黒尾の手に痛みが走る。
思わず彼女を離し、手の甲に目を落とす。
三本の赤いひっかき傷ができていた。
逃れた彼女を見れば、その爪の先が鋭く、そして少し赤く染まっている。
「女の子相手に、ヒドイんじゃないの? 最低ね!」
彼女の目が鋭くなった。
比喩ではなく物理的に、別の生き物のように細く鋭くなっていた。
「おー。バケモノだ」
ふと、”オバケ”と”バケモノ”に違いがあるのかという、些細な疑問がわいたが、すぐに「どうでもいい」と流した。
「で? ””は?」
一歩、一歩と再び間合いを詰める。
逃げようものなら、すぐに捕まえられるように。
「しーらない。私は足止めだし」
鼻で笑った。
黒尾は「足止め」という言葉に引っかかりを覚えた。
「せいぜいアイツに、屋上から突き落とされてないといいわね!」
彼女は吐き捨てるように言うと、床を蹴り駆け出した。
無論、身構えていた黒尾はすぐに追う。
しかし、伸ばした手は空ぶる。
足音もなく、しなやかに、彼女という存在は廊下の闇に消えた。
もう、どこにも姿は、ない。
本当に一瞬だった。