君を――したい

07-7


 黒尾は階段を駈け上っていた。

 不思議と、行く手を阻むバリケードはの偽者が去った後、消えていた。
 狐につままれた気分だったが、ぼんやりとしていられない。
 顔には焦りが浮かんでいた。

『せいぜいアイツに、屋上から突き落とされてないといいわね!』

 偽者が言った言葉が気がかりだった。

(大丈夫だ。心配いらない)

 自分に言い聞かせる。
 単なる気休めではなかった。
 事実、はしっかりしている。考えや行動が大人びていることが多かった。

(俺の1つ下とは思えないね。ほんと、ガキらしくない)

 あやしい事には自分から突っ込まない。
 そして、無理はしない。

(だから、心配はいらない)

 ――”研磨”が関わらなければ。

 以前、研磨を背負って家に帰った、と聞いた。とんでもない無茶だ。
 体格差のある自分ならともかく、女の体でよくやると感心した。

(あいつは研磨が大切だ。何より研磨を優先して動く)

 得体が知れなくても、それだけは絶対、確固たる信頼があった。

 けれど、それが今は不安材料だった。
 研磨の行方を捜すが「無理をしない」と言い切れない。

 階段を蹴る。早く上へ。

(屋上か!)

 階段を上りきると、屋上に出るらしい扉があった。
 黒尾は迷わず、ノブを回す。

(……開かない?)

 閉め切られているのか?
 だとしたらは屋上にいない?
 いや、違う。

はここにいるはず)

 ノブを乱暴に回しながら、扉を叩く。

「おい! ! いるんだろ! 返事しろ!」

 扉を叩く音、叫ぶ声が響く。
 けれど、その音ばかりで返事も何も聞こえない。……何も。

(本当にいないのか?)

 こんなに騒いでるのに、何も返ってこないのは近くにいないからか?
 自信が揺らぐ。

(落ち着け)

 深く息を吸う。
 目を閉じて感覚を研ぎ澄ます。
 僅かな音でも聞き漏らさないように。

はここだ。ここにいる。
 研ぎ澄ませ。音を逃すな。全て拾え)

 ざぁーと流れる風の音、外から入り込んだ音だ。
 それに微かに音が混じる。

(……これは何だ?)

 床をこする音。足音。

だ! ここにいる! 絶対だ!)

 ――パリン

 頭の中で、何かが割れる音がした。
 とたん、周りの音が明瞭になる。
 まるで今まで蓋をされていたように、声が、音が耳に入ってくる。


  *  *  *


 扉の向こうからの声が聞こえた。
 誰かと話しているらしい。

 研磨でも黒尾でもない”誰か”。

 それを考えると、ゾワッと背筋を嫌な気が走った。
 焦りが一気に押し寄せる。

 ――ガチャガチャッ! ガチャッ!

 ノブを力一杯回すも、ビクともしない。

「おい! !」

 大声で叫んでも、扉を叩いても、それに全く応えない。
 まるで、聞こえていないかのように。

「黒尾君は……」

 扉の向こうからの声がする。
 自分の事を話しているのだと気づき、黒尾は扉を叩く手を止めた。
 扉にベタリと耳を押しつけて、の声に耳を傾ける。

「黒尾君は、研磨を大事に思ってる。
 研磨も黒尾君といる方が良いに決まってる。私がどんなに追いかけても、埋まらない距離がある」

(何言ってやがんだ! こんな時に!)

 ぎゅっと拳を握る手に力が入る。
 今すぐ、この扉の向こうに飛んでいって、の頭に一発入れたかった。

「今まで築きあげてきた信頼も絆も、私では及ばない。
 ……これからも、ずっとは築かれていく。私は追いつけない」

 声に悲しみとか寂しさが混ざっていることに、気づく。
 胸をえぐられたような痛みがした。
 自然と、握り拳が解ける。

 黒尾はという人間が、苦手だ。
 も自分から黒尾に関わることはない。

(それで良いって、俺、ホッとしてたんだ)

 曖昧なままで、そのままで良い。そのままなら良い。

『えーと、私は……逃げるよ。
 得体の知れないもの相手に、真っ向勝負する気なんてない』
『……ふーん。情けねーな』

 団地に来る前のやりとりを思い出した。

(情けないのは俺じゃねーか!)
「くそっ!!」

 ――ダンッ!

 歯を食いしばり、拳を扉に叩きつける。
 相当の音がしたが、当然、扉向こうのは気づいていない。

「黒尾君は、こんな場所に研磨を一人、放っておかない。
 私なんか構わずに走り出す。それが私の知ってる黒尾君。
 ……だから、あんたは黒尾君じゃない」

 プツンと、何かが切れた。
 こめかみ辺りがひくつくのがわかる。

(ふざけんな)

 得体の知れない?
 そんなの些細なことだ。

 コイツという人間は、とにかく研磨、研磨、研磨(略)……。
 言うこと、すること、ガキ臭くない、可愛げのないヤツで、利口なくせに、どうしようもない……、

(大馬鹿だ!!)

 それらが=(イコール)という人間だ。

 パズルの欠片が、はまる感覚に似ている。
 黒尾の中で””という人間の認識が、固まった。

 ――パァァンッ!!

 盛大に何かが割れた音が、頭の中で響く。
 全ての壁が砕け散ったと、黒尾は感じた。

 ――ガチャリ

 ノブが回る。
 口元に笑みを浮かべ、小さくガッツポーズをとった。

(こっからだ。あいつに言ってやらねーといけないことが山ほどある)

 ――ガタンッ

 ぶっ飛ばす勢いで、扉を開け放つ。
 目を丸くしたと目が合う。
 無事な姿にホッとした。

 けれど気を緩めるわけにはいかない。
 は手を繋いでいた。話をしていた”誰か”と。

(……なんか見たことがあると思ったら、俺に似てんなー)

 先程あったの偽者を思い出す。
 きっと、そいつの仲間に違いなかった。

(俺はすぐに偽者って気づいたのに)

「コラー! なーにオバケにホイホイ付いて行ってんだ!」

 ふつふつと沸き上がる怒りを抑えて、黒尾は一歩、一歩との元へと足を踏み出した。


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