君を――したい

08


 望みは一つでいいと思ってた。
 その一つが満たされるなら、他の何かを望む必要なんて、おこがましいと。
 それでも一度知ってしまった幸せを、忘れることはできない。

 私は――君たちと、幸せでいたい。


  *  *  *


 何となく気が向いて、研磨と黒尾君にクッキーを作った。
 それが、何故か今、私は研磨の家にいる。

 ショリ、ショリ……。
 赤く細い皮が、まな板に落ちていく。

「あら、ちゃん。リンゴの皮剥き上手ね」

 研磨のおばさんの優しい笑顔が、少し照れ臭い。
 ショリ、ショリ……。
 私は、研磨のおばさんからアップルパイの作り方を教わっている最中だ。
 ……何故か?

『……次からは、アップルパイがいい』

 クッキーを受け取った研磨に、そのまま自宅へ連れてこられた。
 そして、あれよあれよという間に、狐爪家でクッキング教室が始まった。

(……甘やかしすぎかな)

 研磨はというと、リビングでゲームをしながら、お目当てのアップルパイができあがるのを待っている。初めから料理に参加する気はないらしい。

(やっぱり、甘やかしすぎだよね)

 わかっていても、どうしようもない。「アップルパイがいい」とお願いされたら、作りたいし、食べてもらいたい。
 研磨はソワソワと何度も台所を振り返っている。
 その様子が可愛いくて、つい頑張ろうと思ってしまう。

 2つ目のリンゴの皮をむく。少し固い。

「これ……少し固いです」
「あらホント。大丈夫。ちょっと青くて固いのも、じっくり煮詰めれば、甘く美味しくなるから」

 鍋でリンゴを煮詰め、パイ生地にのせて、オーブンで焼く。
 片付けを手伝って、リビングで待ってる研磨の元へ。あとは焼き上がるのを待つばかり。

「……いい匂い」

 すん、と家中に広がるリンゴの甘い匂いに、研磨は幸せそうに目を細める。
 私はというと、ずっと甘い匂いを嗅いでいたせいで、少しクラクラしていた。
 まだ食べていないのに、口の中が甘ったるい。

「研磨、クッキー嫌いだった?」

 だから、私をおばさんの所に連れてきたのだろうかと、少し不安だった。

「……別に。ただ、アップルパイが好きだから」

 視線はゲームに注がれたまま。けれど、チラリチラリとオーブンに目がいく。

(わかりやすいなぁ)

「今、焼き始めたばかりだよ」
「……わかってる」

 それでも視線は落ち着かず。
 結局、2人してオーブン前で焼けていくパイを眺めた。

 私は正直、じっと見てるだけなのは飽きるのだけど、研磨は違うらしい。
 じぃーとパイ一点を見つめて動かない。

「あのさ。……楽しい?」

 思わず聞いてしまった。
 そんなに長時間、集中して見ていられるようなものでもないから。

「別に」

 凝視しているわりには、淡泊な返事が返ってきた。

「早く、焼けないかな」

 視線はパイから少しもブレない。
 目から光線が出ていれば、今頃パイに丸い焦げ穴が開いていたことだろう。

「まだ、だよ」

 時計の針を見て、私は笑う。


  *  *  *


 こんがり焼けたアップルパイがテーブルに運ばれてきた。
 煮詰めたリンゴが艶々と甘く香り、誘っている。

「それじゃ。切り分けるわね」

 おばさんが丁寧に包丁で切り分け、お皿にのせる。
 誰よりこの瞬間を待ちわびた研磨が、最初に皿を受け取る。

「いただきます」

 待ちきれずに、研磨が一口かじりつく。あつあつ、と口をぱくぱくさせながら。
 トロトロのリンゴの果肉がポトリと皿に零れた。
 悪戦苦闘しながらも、小さな口にパイは少しずつ消えていく。

「美味しい?」

 聞くまでもないことだった。
 黙々と食べているその微笑ましい様子を見れば。

「……ん。美味しい。クロと同じくらい」

(……なん、だと?)

 思わず笑顔のままで固まってしまった。

「黒尾君も作ったことあるの?」
「うん」

 今はもう、あんまり黒尾君が苦手じゃない。
 けど、

(それと、これとは別)

 ――ピンポーン

 インターフォンが来客を告げた。

「はーい。あら鉄朗君じゃない。どーぞ」

 鼻が良いのか、勘が良いのか。
 なんとタイミングがいいんだろう。

「おーい。俺を仲間はずれにすんなよー。
 おっ。アップルパイか、おばさん俺もいただきます」

 挨拶もそこそこに、ちゃっかり席に着く黒尾君。
 すかさず手の甲をしばいた。

「手を洗ってから」
「へいへい」

 ニシシと笑って洗面所へ消える。
 よく来ているだけあって、勝手はわかっているらしい。

 手を洗い終えると、アップルパイを食べて一言。

「え、が作ったの? まぁまぁだな」

 と笑顔で言うものだから、つい言い返してしまった。

「これからもっと、極めるから」

 こちらも笑顔で圧力をかける。

 別に「黒尾君に追いつけ、追い越せ」とは、もう思わない。
 けれど、お菓子作りで負けるのは嫌だ。女子として嫌だ。
 研磨の好物となっては、尚のこと。

「ん。期待しとく」

 見れば一切れ完食した研磨が、おかわりを要求していた。

「おい。食べ過ぎんなよ」
「晩ご飯、あるんだから駄目」

 黒尾君と私に止められて、研磨は口を尖らせる。
 そんな私達を、研磨のおばさんはクスクスと笑う。

「黒尾君もちゃんも来てくれると、賑やかで嬉しいわ」

 朗(ほが)らか昼下がり。
「いつまでつづくのだろう」とか無粋なことは、角へと押しやる。

(……すごく楽しい)

 なんでもないこの一日が、ひどく尊いもののように感じる。……何故だろう。
 とてつもない贅沢をしているような気がする。勿体ないくらい。
 けれど、このままずっと…………、

 私は――君たちと、幸せでいたい。



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