君を――したい

09


”甘え”が悪いことだとは思えない。
 それができることは、本当に幸福なことだから。

 私は――君たちに、甘えていたい。


  *  *  *

 ザァザァと雨音が鳴り響く。
 3月の雨は肌寒い。

 月日は流れ、黒尾君はじきに中学生になる。
 下校時間が重なった私達は一緒に帰っていた。

(あと何回、3人で通学できるだろう)

 どうせ、1年経てば同じ中学に行くことになる。わかっているけど、それでも少し寂しい。

 3人とも傘をさして1列に歩く。
 道の狭い道路。車が水しぶきをあげて傍を通る。

「おーい。もっと端に寄れー。危ねーぞ」

 先頭を歩く黒尾君が振り返り、声を上げる。
 傘や道を叩く雨音、車の水飛沫の音が絶えず聞こえる。
 ガヤガヤと、他にも下校中の生徒がおしゃべりをしているものだから、大声を出さないと聞こえない。

「研磨、下向くな。前向いてろ。時々ぶつかってんぞ」

 きっと卒業するその時まで、黒尾君は研磨の世話を焼くのだろう。
 そう思うと、なんだか笑えた。

「おいコラ、。ちゃんと端に寄っとけよ。お前ただでさえも影が薄いんだから、こんな雨で視界の悪い日なんか、ウッカリ車に轢かれんぞ」
「そんな大げさな……」

 言ってる傍から、車に水飛沫をかけられる。
 スレスレの所を通っていったものだから、ヒヤリとした。

「あ、うん。気をつける」

 顔にかかった水飛沫を袖で拭う。
 前を歩く研磨もかかったらしく、同じように顔を拭いていた。

「この辺は結構、危ねーんだ。ここで1人死んでるだろ」

 黒尾君が反対側の路肩を示す。
 電信柱に添えるように花束とジュース、お菓子が供えられている。
 雨に晒されているぶん、随分と物寂しく見えた。

 目の前を車が横切るので、途切れ途切れにそれを眺める。

「ほんとだ。事故? いつあったんだろう?」

 少なくとも、私の記憶にはない。

「結構、前だろ? が知らないんなら引っ越してくる前か。
 俺らと同じ小学生だとよ。あんま覚えてねーけど」
「ふーん。引っ越してくる前……か」

 この道はいつも通っている。
 けど、花が供えられているのを……私は初めて見た気がした。



 雨音に紛れてしまうくらい小さな声。
 けれど、その声を私は逃しはしない。
 濡れた黒髪が頬に張り付いている。研磨が振り返り足を止めていた。
 私と研磨の間は5歩くらい、距離が空いている。

「足、止まってる」
「あっと、ごめん」
「置いてくぞー」

 黒尾君も足を止めて待っていた。
 私は小走りに追いつく。
 それを見届けると、前を行く2人は再び歩き始めた。

(何だろう。……気になる)

 ザァザァと雨音が絶えず鳴り響く。
 私の横を、幾度も車が通り過ぎて飛沫をあげる。

(通り過ぎた”後ろ”が、”向こう側”が気になる)

 水気を帯びた服が体にまとわりつく。
 けれど、それとは別の無視できない”何か”がある。後ろからまとわりついているような気がした。
 私は後ろを、振り返る。

 ――少女がいた。

 花束が置いてある所を静かに見下ろして、何をするでもなく佇んでいる。
 傘もカッパも持っていないようで、2つに括られた髪も、背負っている赤いランドセルもすっかり水が滴っている。
 背を向けて俯いているため、表情は見えない。

(傘も持たないで……何、してるんだろ?)

 目が離せなかった。
 間を、何度も車が横切った。
 けれど釘付けにされたように、視線を外すことができない。

 ふと、少女がゆっくりと振り返った。
 目が合う。
 黒い目が、私を捕らえた。
 ぞくぞくと嫌な気が背筋を這い上がる。

 車が目の前を横切り、少女の姿が一瞬見えなくなる。
 車が通り過ぎて、そこにいたのは、

 ――”私”だった。

 さっきの少女じゃない。
 洗面所で、玄関の鏡でよく見かける私の姿だ。
 目の前の”私”は目を細め、にぃと笑う。
 ブワッと全身から汗が噴き出た。

(……なんで)

 ――バシャンッ

 車が盛大に水飛沫をあげて、私は堪らず目をつぶった。
 目を開けた時、――そこには誰もいなかった。

「こらー。何度、足を止めてんだ」

 すぐ目の前で声がした。
 傘と傘がぶつかる距離に、黒尾君が立っていた。

「お前、もう先頭を歩け。車には気をつけろよ」

 さっさと歩けと、背を押された。
 促されるままに足を動かし、先頭を歩く。

(見間違い? 視界も悪かったし……でも)

 確かに”見た”と思う。
 証明できるものはなにもないし、「見間違いかもしれない」とも思う。

「なんだっけ、こいうの……影、シャドウ……もう1人の自分……」

 聞いたことがある。なんだっけ、出てきそうで出てこない。

「……ドッペル」

(そうだ。”ドッペルゲンガー”だ)

 思い出せてスッキリするも、気分は最悪だった。

 ……どこかで聞いた気がする。
 もう一人の自分――ドッペルゲンガーを見た人間は死期が近い、と。

(……気のせいだ)

 辺りは暗く、雨で視界も悪いのだから。


  *  *  *


 広い道に出て3人横並びになる。
 珍しく、研磨が私の顔色を窺って顔をしかめた。

。顔が酷いよ」
「おい。”顔色が悪い”だろ。……どーした。寒いか?」

 2人して、心配そうに覗き込んでくる。

「あのさ。……さっき、変なの、見たかもしんない」

 ビビリのようで、ちょっと情けなかった。
 けど、言わずにはいられなかった。

「何! 交通事故で死んだユーレイか?」

 黒尾君は嬉しそうに腕をブンブン回す。
 その様子を見て、一気に力が抜ける。

(あ、そーだった。……こういう性格だった)

「まぁ……そんな感じ」

 つい、投げやりな返事をしてしまった。
 見れば、研磨も呆れてる。

「……あのさクロ。拳は効かないと思う」
「んじゃ、コレだ」

 黒尾君はランドセルに付けてあったお守りを外した。

「これで悪霊退散! ってな」

 ビシッと私に突き付けて、何やらポーズを決める。
 私と研磨は冷めた目でそれを見つめた。
 研磨はお守りをマジマジと見て溜息を一つ。

「これ、”交通安全”のお守り」
「だから、いいんじゃねーか。交通事故のユーレイなんだろ? なら、効果はバツグンだ! ほら」

 強引に手に握らされる。
 勢いに負けて、そのまま受け取る。

「……ありがとう」

 あまり効果があるとは思えないけど、好意は素直に受け取っておく。
 黒尾君は「気にすんな」と笑う。
 彼のサバサバとした優しさが嬉しい。

(……本当になんだったんだろ?)

 手元のお守りに視線を落とす。
 2つ括りの少女。それが”私の姿”になって笑ってた。

(あれは一体、なんなのだろう?)



 声がした方を見る。
 研磨が、じっと私の目を見ていた。
 こういう時、彼が何を考えているのか、私にはイマイチわからない。
 そっと、手を取られた。傘を持っていない方の手を。

「このまま、繋いでくから」
「えっと……でも濡れるよ?」

 傘と傘の隙間から雫が落ちる。
 今も、繋いだ手にいくつも水滴が当たっている。

「いいから、繋がれてて」

 私は研磨に弱い。
 いつからか、最初からかもしれない。

「ありがとう」

 その手を握り返す。手に当たる雨など、些細なこと。
 手を繋いで歩く私達を、黒尾君がジロジロと無遠慮な視線を向けてきた。

「あーもう。お前らばっかりイチャイチャしすぎだ。俺が卒業したら、2人でベッタリ新婚生活でもする気か? お兄さんは寂しー……冷たっ」

 黒尾君が面倒くさいことを言っているのに苛立ったのか、研磨は傘で黒尾君の傘を攻撃した。傘に溜まった水滴が辺りに飛び散る。

「クロ、うるさい」
「あーはいはい」

 そんな二人のやり取りに、思わず苦笑する。

「笑ってられんなら、もう大丈夫だろ。ま、怖くなったら俺なり研磨なり泣きついてこい」

 黒尾君に、わしゃわしゃと頭をかき回される。
 雨の湿気もあって、髪の毛は酷く不格好になってしまった。

「やめてよ。泣かないし」

 肘でつついて退ける。
 彼はあっさりとかわして距離をとった。

(大丈夫だ)

 研磨も黒尾君も、気の許せる相手だ。
 2人の優しさになら、甘えていられる。

(このまま……)


 私は――君たちに、甘えていたい。



 

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