隣のあいつは憎いヤツ

風呂場

お風呂は好きだ。
何をするでもなく、湯船でぼぅとしているのは無駄なようで大切だ。

ふんふ〜んと鼻歌交じりでシャワーを浴びる。
気分は最高潮。自然と口まで開く。

「青春〜お〜で〜ん〜♪」

どん!どん!どん!

浴室のドアが乱暴に叩かれる。
確か、母さんは買い物に出かけていたはず。
もう、帰ってきたのだろうか。

どん!どん!どん!どん!どん!どん!

ドアを叩く音は、一向に止まない。
あーっもうっ!何があったか知らないけど、うるさい!

バスタオルを体に巻いて、抗議しようと勢いよくドアを開ける。

「ちょっと母さ…………っ!」

目にした姿は、母上どのではないようで。

「こぉんの音痴!俺んちまで響いてるだよ!その騒音、近所迷惑だからやめろよな!」

薄水色に近い銀髪。お隣の佐久間次郎だ。
こいつは黙ってさえいれば、目の保養になる美人なのに……と、今はそんな事はどうでもいい。

「きゃぁああああああああああ!」
「うるせぇ!」
「……んんんんっ!」

奴の手が素早く私の口を塞ぐ。
触れられた箇所が熱い。

「近所迷惑だって言ってんだろ!」
「んーっんんんっ!」

私はタオル一枚巻いただけの格好で、目の前にはこいつがいる。
頭の中は大パニックだ。
どうしてこんな事になったんだろう……もう嫌だ。

「だから、いい加減大声で……なっ」

火照った頬の上を雫がすべり落ちていく。

「なっな……泣かなくてもいいだろ!」

ようやく私の口を塞いでいた手が離れていく。
それでも、涙はまだ止まらない。
私はその場にへなへなと座り込んでしまった。
ぐしゃぐしゃになった顔を見られたくなくて、うつむく。
勝手に流れてくる涙を乱暴に拭いながら。

「いい加減泣きやめよ!だらしない!お前、そんな弱虫じゃないだろ!……あぁ、もう!」

イラついた奴は、私の二の腕を掴んで立たせようとする。
が、すぐに離された。
どうしたのだろうと顔を上げてやつを見てみる。

「…………」

やつは自分の手をじっと見つめていた。
握ったり開いたりを繰り返し、一体何を考えているのだろう。

あ、目が合った。

「…………そうか」

やつはそう呟いて、何事もなかったかのように出ていった。

「な、なに?」

答えはもちろん返ってこない。
とりあえず、冷えきった体を暖めるため、もう一度湯船につかる。
湯船につかって考えた結論。

「…………とりあえず、明日、殴ろう」

きっと気分はすっきりするはずだ。


  *  *  *


佐久間次郎は自分の部屋に帰るなり、ベッドにごろんと仰向けになった。
に触れた自分の手を見つめる。
握っては開いてを繰り返し、あの時の感触を思い出していた。

「……やわらかかったな」

いくらこの場で握ったり開いたりしても、空を掴むばかり。物足りなさを感じていた。

「せっかくだから、もう少し掴んでいれば良かったのに……何で、すぐ離したんだ俺。あー……相手はなのに」

体を起こし、カーテンをそっと開ける。
窓向こうの部屋のカーテンは閉まっている。中の様子は窺い知ることはできない。

「…………あー、もう。今日の俺はどうかしてる」

乱暴にカーテンを閉めると、彼は再びベッドに寝ころんだ。
もう、寝てしまおうということらしい。
しかし瞳を閉じても、なかなか寝つけなかった。
手が熱を帯びていて、なかなか夢の世界へといけないらしい。

「いいから寝ろ、俺」

彼が夢の世界へと墜ちていったのは、それからだいぶ経ってからだった。