悪夢+妄想=
忘れられた悪夢-その1
私の父は外交関係の仕事をしていた。
仕事が順調な時。
私と父は、滅多に会うことはなかった。
たまに顔を合わせば、決まって父は顔をほころばせた。
「暫く見ぬうちに、ずいぶんと大人になったな」
「……父上こそ、お元気そうで……」
当たり障りのない程度の挨拶。いつものことだ。
一人娘というせいもあって、父は私には優しかった。
でも私にしてみれば、たまにしか会わない父は他人に近い存在。
最低限、子として相手しておけばいいだろう。
……それで何不自由ない生活が送れるなら、それで十分だ。
私が十になろういう日。
祝いの言葉をかけられることはなかった、誰からも。
父の仕事が失敗したという事実。
そんなのが祝いの品など、笑えない冗談だ。
優しかった父の面影は、もうどこにもない。
父は、私と母を捨て、家を出て行った。
母は泣き叫び、私にすがりついた。
私は冷めた目で母を見据え、自分の首に食い込む母の爪に、ただ耐えた。
幼き子に、何の抵抗ができよう。
相手が、自分を生んだ母ならば尚のこと。
母の叫び声が大きくなるにつれ、私の首にかかる力も増した。
意識が遠いた。目の前が暗くなる。
気が付くと……そこは私の家ではなかった。
時は大正末期。
帝都の一角に佇む喫茶『銀星館』。
そこには悪夢を糧として生きる『貘』がいる。
様々な悪夢を抱え、救いを求めた客達は、その銀星館を頼りに訪れるという。
……などという胡散臭い噂を、多々耳にはしたのだが……。
正直。……入るのにためらう店だ。
私は素直にそう思った。
でも、まぁこんなところでのんびりとはしていられない。
私は意を決してその怪しげな店に入った。
……カラン……。
「いらっしゃい」
中はいたって普通の喫茶店の造りで、器量の良い黒髪の女性が声をかけてきた。
「せかっく来てくれたところ悪いんだけど、悪夢の相談は夜に……」
「一二三という馬鹿がいるはずだ。今すぐ出せ」
彼女が、言い終わらぬうちに私は言った。
「……はい?」
「だから、今すぐ一二三を出せ。ここにいるのだろう?」
来て早々、不躾かとは思うが……まぁ。詫びは後で十分。
「えっと、あなたは?」
「あぁ。私は一二三の……」
と、言いかけて騒々しい音が邪魔をした。
……ガランッ!
「霜霞さん!頼まれていた食材買ってきました!」
バチリと合う目と目。
ほぅ。実にタイミング良く出会えたものだ。
ドアから出てきた人物。
それは、私が捜していた一二三本人以外の何者でもなかった。
「まぁ。一二三さん」
「……っ!この道楽息子がぁっ!」
ほぼ反射的に私の拳がうなる。
「げっ……!」
慌てふためく一二三にはお構いなく、そのまま拳をお見舞いした。
「一二三さんのお知り合いかしら?」
「なぁ〜む」
黒髪の女性は、手元にいる一二三の飼っている猫『那亜夢』を撫で、私達の成り行きを見守っていた。
そういえば、まだちゃんと自己紹介していなかったな。
だが、そういった事は謝罪も含めて全部後回しだ。
「ちょっと待て!なんでお前がここにいるんだ!」
一二三がお腹を押さえながら、そう聞いてきた。
心当たりがないわけでもないだろう。
「決まっているだろう。お前の監視役だ」
「…………なんだって!」
ひとまず落ち着きを取り戻し、私は席に着いた。
「騒がせてすまなかった」
「気にしてないわ。はい。どうぞ」
黒髪の女性は苦笑し、私に注ぎたてのコーヒーを差し出した。
コーヒーの良い香りが、私の鼻をくすぶる。
「……良い香りだ」
「気に入って頂けて嬉しいわ。私は霜霞」
「私は。一二三の家に仕えている者だ」
出されたコーヒーを一口。
ほのかな苦みがなかなか……。
幸せに浸っていると、横からの一二三の視線が邪魔をした。
……ずいぶんと不満そうだな。
「何しに来たんだ?」
「監視するためと、さっきも言っただろう道楽息子」
「…………」
「ふと気が付けば、遊びに出払っているお前だ。そのうち周りの者から、見捨てられるぞ」
「知るか」
「ちなみに、一応許可は得ている。問答無用の監視をさせてもらう」
「今すぐ帰ってくれ!」
ずいぶんと必死だな。
「無駄なあがきだ。あきらめろ」
そう言って私は、残ったコーヒーを飲み干した。
「それじゃ。居場所がはっきりしたことだし。私はいったん帰らせてもらおう」
「なにか用事でも?」
「いや。この近くに、宿泊できるところを捜さねばならない」
私はそう言い残すと、足早に店を出た。
一二三の顔が少し引きつっていたのが少し笑えたな。
次の日。
宿泊先が決まったことを報告することも兼ねて、私は再び銀星館を訪れていた。
「こいつだ蛭弧!お前の貘としての力を、存分に振る舞ってやってくれ!」
「……うるさいよ。僕は昼間は苦手なんだ。いい加減その手を話してくれないか」
……なんなんだ一体。
来て早々随分と賑やかじゃないか。
一二三が金髪の人物を、奥から引っ張り出してきているところだった。
金髪の方はそれに抵抗しつつも、ずるずるとこちらへと……哀れなことだ。
「何をしている一二三?」
「聞いたぞ」
……何をだ?
「最近。悪夢に悩まされてるって聞いてな。こいつに解消してもらえ」
「…………」
「そんでもって、早く家に帰れ」
「おい待て、後方の台詞は流すとして、……悪夢?なんのことだ?」
「家の使用人に聞いたぜ。毎晩うなされているってな。それがあんまりひどいんで、同じ寮にいる奴らから苦情が来て、お前をいったん屋敷以外でできる仕事にまわしたってな」
それは初耳だな。
……まぁ、いいか。
「一二三。私は別に悪夢など見ていないぞ」
「いや。だって寮の奴らみんなが言ってたぜ?」
毎晩。悪夢は勿論。
ここ数年。何の夢さえ見ていない。
「ふぅん。忘れられた悪夢か。さん今日の夜に、またここに来てください」
今まで、ぼーっと傍観していた蛭弧と呼ばれる人物。
いや。一二三の言い方からして噂の貘か?
「夜中にわざわざ、しかも初対面の女性である私に会いに来いと?」
「なんでしたら迎えに行きますよ。宿泊先さえ教えてもらえればね」
不適な笑みに、私としたことが一瞬寒気を感じてしまった。
「いや。遠慮する。夜になるまでここにいるからな」
「…………?」
私の発言に蛭弧は首をかしげた。見れば、一二三もだ。
何を不思議がる必要があるのだろう。
「私は一二三の監視役だから、このままここにいさせてもらうと言ってるんだ」
「げっ……」
こうして私は、夜まで銀星館に居座ることになった。
今まで何度か夢サイトを立ち上げては閉鎖を繰り返して来ましたが、夢喰見聞夢は相変わらずマイナーなようで、一応置いておこうかと。
にしても、過去の作品を見直すって、相当なダメージくらいますね。読み直してイミフな自分の文章に涙が出ます。よくもまぁこんなものが放置されていたなぁ……とか。