悪夢+妄想=
忘れられた悪夢-その2
「一二三。‥‥本当に私がうっとうしくて、蛭弧に頼んだのか?」
私の隣で、不機嫌そうにコーヒーを飲んでいる一二三に声をかけてみた。
「‥‥‥‥こそ、無理矢理、俺の方にまわされたんだろ?」
「その通りだが?」
と、素直に述べると彼の顔は位階の表情に変わる。
それが、おかしくて少し笑う。
「気にするな。冗談だ」
決して、嫌で一二三の監視をしている訳じゃない。
一二三と私は、幼き時からの親友だった。
お互い親が忙しく相手をしてくれないというで、いつも一緒になって遊んでいた。
嫌いなはずがなかった。
ずっと、このままでいられると思った。
このままでいたかった。
父が仕事に失敗するまでは‥‥。
母親に絞め殺されそうになったところに、一二三がやって来た。
今思えば、なんて良いタイミングでやって来たのだろうな。
その時、一二三は何人か使用人を連れて来ていた。
当然、母は押さえつけられ、私は一二三の所に一時身柄を保護された。
意識が戻ると、私は一二三の家にいた。
そして、母は精神的ショックで、もうこの世を去ったと聞かされた。
死に際も、異常な行動ばかりを起こし、舌をかみ切って死んだという。
涙などでなかった。
でも、この先どうすればいいかわからなかった。
「‥‥‥‥‥‥。お前これからどうするんだ?」
‥‥‥聞くな。
そんなこと。わかるはずがない。
「‥‥どうなっちまうんだ?」
‥‥知るか。
知りたくもない。
「‥‥。お前。俺の家で働けよ‥‥」
‥‥やめろ。
「親父には俺から‥‥‥‥」
「黙れ一二三!」
「‥‥‥っ!」
気が付けば、私の手は一二三の頬を叩いていた。
手がじんじんとした。
……あぁ、震えてる。
けど私は握り拳にしてそれを隠した。
「お前には関係ないことだ!」
「‥‥んだとっ!」
「良いご身分だな!私を見下せて嬉しいか!」
‥‥違う。
こんな事思っていない。
こんな事言ってはいけない!
‥‥でも、もう遅い。
「同情も哀れみもいらない!私はお前なんか嫌いだ!お前の下で働くなんて願い下げだ!今すぐ私の前から消えてしまえ!」
パニックになった人間は‥‥
なんて、愚かなんだろう。
なんて、無様なんだろう。
なんて、醜いんだろう。
思いつく侮辱の言葉をかたっぱしからぶつけた。
泣きじゃくりながら、嗚咽まじりで、
言葉にならなくなるまで吐き出し続けた。
私のみじめな言葉の刃を、全て一二三の胸へと放ってしまった。
「‥‥‥‥‥‥そうかよ‥‥」
ぽつりと言った一二三の表情。
解っていたのに、後悔しないではいられなかった。
‥‥嗚呼。こんな私なんて見捨ててしまえ。
もう。親友としてはいられない。
ぎゅっと目を瞑り下を向いた。
まともに、顔が見られない。
目頭が熱くて熱くて、次から次へとあふれ出る涙を止めることはできなかった。
ふと影が差したのに気が付いた。
下を向いていてもわかる所にまで一二三が傍に来ていた。
「‥‥‥‥一二三」
恐る恐る顔をあげて見た一二三の顔は、私への怒りで満ちていた。
「お前なんかもう知るか!お前は今日から俺の家の使用人だ!見下してやる!見下してやるとも!俺もお前なんか大嫌いだ!」
「‥‥‥‥っ!迷惑だ!この馬鹿息子!」
「‥んだと!この無愛想女!」
お互い譲ることのない一方的な言い合い。
本当に、子供だったな。お互いに。
言うべきことはほかにあったというのに。
その後、一二三は私のことを見下すと言って使用人にした。
だが、私はそれ以降数年、一二三とは会うことはなかった。
否、会えなかった。
親友だった。
これ以上壊れないようにと、置いた距離だった。
最前の選択だったと思う‥‥。
そして、一二三なりの気遣いなのだろう‥‥。
情けない自分に嫌悪した。
一二三のことは嫌いになってはいけなかった。
でも、会えばまた嫌うだろう。
今はまだ‥‥。
五年ほど年月が経ち。
私も少し利口になった。
一二三の告げ口なしでも、家の者達に私という人物を置いてもらえるよう。
私自身。本当に賢くなった。
年齢差など感じさせぬほどの、気配りと対応する癖を身につけた。
それからだ。
一二三に、まともに顔を合わせることができるようになったのは‥‥。
でも、あの時の礼は未だ言えていない。
「それにしても、なぜお前はこのような所に居座ってる?」
夜までの、待ち時間が暇なので、一二三がここに滞在している理由を聞いてみた。
‥‥どうせ。ろくな理由ではないだろうがな。
「そりゃ霜霞さんがいるからに決まってんだろ♪」
「‥‥‥‥‥‥」
「あんな素敵な女性‥‥他にいない!」
目をきらきらと輝かしてそう述べた。
予想通り、ろくな理由じゃなかったな。
「‥‥‥‥霜霞が哀れだ」
「‥‥んだと!」
「お前のような。究極にセンスのない男に、『素敵だ』と言われるの以上の侮辱の言葉など、数少ない。言われる方が哀れでならない。‥‥‥霜霞に失礼だ」
そう。こいつのセンスの悪さは筋金入り。
‥‥直せるようなモノじゃない。
「言うじゃないか。お前もその無愛想な性格直せよ。嫁の貰い手がいなくなるぞ?」
「大きなお世話だ」
久しぶりに、一二三との喧嘩、もとい会話に花が咲いた。
どうせ、その辺をブラブラとしに出て行くと思っていたが‥‥。
意外にも、夜まで私の話相手をしてくれた。
「まさか。本当に夜まで待っていたとはね」
日が沈み、店の二階から、蛭弧と呼ばれる『貘』が起きてきた。
「さてと、さっそく行こうか」
「別に構わないが、私は本当に夢など見ていないぞ?」
薄い笑みを浮かべる蛭弧に、少し身を退きつつ私は言った。
「それは行けば解ること」
杖を私の目の前に差し出して、蛭弧は言った。
「忘れられている悪夢。楽しみだ。‥‥‥さぁ。眠れ。暫し現にお別れだ‥‥」
蛭弧の声が遠くなる。
瞼が重くなり、私は眠りの世界へと飲み込まれた。
あぁ‥‥。さっき大量にコーヒー飲んだのに‥‥。
書いていた当時も思ったけれど、道楽息子こと一二三のポジションが…………良すぎるだろう。と思う。