悪夢+妄想=
忘れられた悪夢-その3
果てしなく真っ白な空間だった。
「‥‥見事に何もないな」
これが私の夢の中らしいが、何一つ存在しない無の空間。
こんなモノが夢などとは言えまい。
「蛭弧とやら、やはり私は夢など見ていないようだが?」
「‥‥‥‥」
返答はない。
蛭弧は私を無視して、歩き出した。
全く、この無の空間で、いくら歩いても無駄だというのに‥‥。
そう、思った。
……でも、なんで無駄とわかる?
変な疑問が浮かんだが、今はここに導いた彼の元を離れるわけにはいかない。
この何もない空間で独りぼっちはいささか寂しい。
仕方なく、蛭弧の後を数歩遅れて歩く。
「何処へ行こうというのだ蛭弧?歩くだけ無駄だと思うのだが‥‥」
「少し五月蠅いよ」
‥‥店の中では一応『さん』付けされていたような‥‥。
「ここは君の夢の中だ。これは貘である僕が言うんだ。間違いない」
‥‥ほぉぅ。大層な自信家で。
蛭弧は私の方を見向きもしないで、ひたすら足を進める。
「なら。私の夢というのは‥‥‥‥こうまで純粋無垢な世界だったんだな」
少々味気ない気もするが、悪くない。
「‥‥純粋無垢ねぇ」
「辺り一面白いということは、そういうことだろう?」
蛭弧は足を止め、私の方を振り返った。
うっすらと不敵な笑みを浮かべながら‥‥。
「じゃあ。なんでここは、血のにおいで充満しているんだい?」
「‥‥‥‥?なんのことだ?」
疑問符を浮かべている私の様子を見ると、蛭弧はくすくすと笑った。
‥‥不愉快だ。
「さてね。‥‥それよりも、ここは何故、何もないように見えるんだろうね?」
‥‥‥‥何もないからだろう。
‥‥夢のないというのは、まさにこういうことを言うのだろうか。
答えない私を見かねて蛭弧は話を進める。
「屈折という現象を知ってるかい?」
そう言うと、蛭弧は手にしていた杖を目の前に放り投げた。
‥‥お前‥‥物は大切にしろ。
などと、思っていたら‥‥。
バシンッ!
まっすぐ飛んでいった杖は、見えない何かにぶつかってはじき返された。
「‥‥‥‥今の!」
「どこが、何もないんだい?‥‥‥‥ここだけ光が屈折する壁があるようだね」
ペタペタと見えない壁を触る蛭弧。
「何もないんじゃない。‥‥君は何もないように見せていたんだね」
「そんなつもりは‥‥」
「もっとも、君は意識していないだろうし、夢を覚えていなかったせいで、夢など見ていないと勘違いまでしていただけだろうけどね」
コツコツコツ‥‥。
ぐいっ‥‥
蛭弧は歩み寄ってくると、私の腕を掴み前へ押し出した。
「‥‥なんだ?」
「ここは君の夢だ。僕がこじ開けても良いけど‥‥自然に開くのが一番楽でね」
「私になんとかしろと‥‥?」
「怖いのかい?」
どうして、そういう言い方しかできないんだろう。
「‥‥‥‥黙れ。‥‥この壁を消せば良いんだな?」
ずかずかずかと、見えない壁があるところまで来て私は、ぎゅっと握り拳をつくった。
「‥‥まさかとは思うけど‥‥君は‥‥」
「はぁっ!」
‥‥バキッ!といくはずだったのに‥‥
スカッ‥‥‥‥
衝撃は勿論、何も無い空を殴ったようで‥‥
‥‥ドサッ!
ま、こうなるのは当然か。
「‥‥‥‥‥‥痛い」
途中で力の流れを変えられるわけもなく。
私は無様に転ぶことになってしまった。
「くっくっくっくっ‥‥何してるんだい‥?」
‥‥‥自分から言い出しておいて、笑うな蛭弧。
「とにかく消えたようだね」
蛭弧の手を借りて起きあがる。
すると、いつの間にか目の前に階段が姿を現していた。
「下る階段か‥‥。昔から、人に見られたくない物や大切な物は、地下に隠すという傾向がある‥‥。この場合は見られたくない物の暗示かな。‥‥引き返すかい?」
「‥‥‥‥引き返すと思うか?」
「あぁ。思うね。人は知られたくないこと、触れて欲しくないこと。忘れておきたいことなんかからは、真っ先に逃げたがるものだからね。‥‥とくに強がりな人間ほど‥‥」
だから、さっきも思ったけどなんでこいつは、こうも挑発的なのだろうな。
「引き返すものか‥‥行くぞ」
蛭弧を置いて、私は自ら階段を下った。
灯火のない階段は薄暗くて仕方がなかったが、意地を張って足早に降りていった。
暗くて広いジメジメとした和屋だった。
部屋の端に、赤黒い塊が柱に寄りかかっている。
「‥‥‥‥これはなんだ?」
「見ての通り死体だね。‥‥誰のか心当たりはあるだろう?」
「‥‥‥‥どうしてこんなものが?」
何処かで見たことがあるような部屋だな‥‥。
『。お前は賢くて良い子だ』
ん?誰かの声が聞こえてくる。
『父上?何をしておられる?‥‥それは何です?』
『‥‥お前は良い子だ。そうだろう?』
くっくっくっくっとすぐ笑い声が聞こえた。
蛭弧とは違う、あぁそうか、父の笑い声だ。
対峙している声は、幼きころの私だろうか‥‥?
『いいだろう?この粉はな。‥‥人を神へと近づけてくれるそうだ』
だんだん父の口調がおかしくなってきた。
『母さんもとても気に入っている。神の加護を受けた薬だ。‥‥。お前が十となる時、お前にも与えようと思っていたんだが‥‥』
『‥‥父上?』
『なんてことだ!これを売る業者が皆捕まってしまったとは!俺はどうしたらいい!』
荒々しく叫びだした。
‥‥その時、私はどういう目で見ていた?
『畜生!畜生!畜生!畜生!畜生!畜生!明日にはもう俺は‥‥!俺は!俺は!どうすればいい!どうすればいいんだ!』
「‥‥‥‥なんだこれは?」
「聞かずとも、もうわかっていることだろう?」
蛭弧のヤツ笑ってる。
‥‥そういえば貘というのは悪夢を食べるのだったな‥‥。
「お前は、私の悪夢が食べたいのか?」
「そうだね。なかなか心地良い悪夢だ」
「‥‥悪趣味なヤツだ」
「‥‥くっくっくっくっ。なんとでも」
「なら。この場で解消してくれれば、非常にありがたいのだが‥‥」
「もっと黒くなってから頂くよ」
最低だ。
どうやら、この時点で食べる気は無いらしい。
「それにしても、君は恐れないのかい?君の悪夢だろう?」
「‥‥‥‥たしかにな。本来なら『もう嫌だ!みたくない!』などと叫んでいるところだろうが‥‥‥。何故だろう‥‥。何だか他人事のように感じられる‥‥」
「‥‥もう少し、あちこち、こじ開ければ、悲鳴の一つでも出せるようになるかもね」
「良い迷惑だから止めろ」
そういえば、先程の声は止んでしまったようだ。
まだ、先があったような気がするが‥‥。
「あぁ。ここにも階段があるよ。下るかい?」
「‥‥‥‥」
気づけば、ここへ来た時の階段が消えている。
‥‥なら‥‥下るしかないだろう‥‥。
私と蛭弧は、再び階段を下ることにした。